情報の偏りの認知について
2025年02月27日に公開
はじめに
久々に自分が最近考えていたことを、色々と肉付けして記事にしてみたからよかったら読んで欲しいでーす!
本当に気まぐれに書いたから、読みにくいかもしれないけどよかったら読んでください。
コンテンツ消費社会における情報の偏りについて
昨今、YouTubeやTik Tokなどのコンテンツプラットフォームにおいて「切り抜き」という文化が盛り上がりを見せている。
切り抜きとは、長尺の動画や人気の動画の中の盛り上がっているシーンを文字通り切り抜いた動画のことである。
尺が30秒ほどのものが多いことから、動画を効率的に楽しめるメリットがある反面、情報の偏りが生じるデメリットがある。
情報の偏りをメリットと考えることもできるのかもしれないが(見たいものだけを見ることができたり、大衆煽動という側面においては)、僕にとって偏りはデメリットになる。
大衆に対する煽動つまり偏りを生み出す施策をするということは、人々の多くはある一方の方向に偏ることになる。そうなると、あたかもその逆に属する人間は間違いかのようになる。信じる人が多いものが必ずしも真であるとは限らない。信じる人が少ないものこそ真であることも歴史上は存在したからだ。
大多数派が正解とは限らない
宗教という大多数派と対立した偉人
宗教という大多数派との対立というリスクを背負っても、信じることをやめなかった人々を紹介していく。
「それでも地球は回っている」
というセリフで知られているガリレオ・ガリレイはその例に当てはまる。
彼は、地動説を説いた一人である。だが、時代はそれを許さなかった。
当時のキリスト教的考え方においては、地球こそ宇宙の中心であり他の惑星たちは地球を中心として回っていると信じられていた。多くの人はそれを疑うことなき真実としていた。
そういった時代背景の中でも彼は自分を曲げずに地動説を説き続けた。彼はローマ教皇(ウルバヌス8世)と友人という関係性であったために発言を許容されていた部分もあったが、それも長続きはしなかった。
17世紀にバチカンで行われた宗教裁判でガリレオは有罪となったのだ。だが、これを口火に学生運動が起き、最終的にはローマ法王により地動説は認められたのだ。
また、「地球球体説」で知られているフィレンチェの天文学者トスカネリも似たような境遇であったと言える。
当時の教会側の見解としては、地球平面説が一般的であった。
だが、そんな中でもトスカネリとコロンブスは「球体である」と信じ、実証実験を行なった。これにより、西廻り航路が拓れサンサルバドル諸島が発見されたのだ。
トスカネリの思考力・信じる力とコロンブスの開拓の心があったこそ今のアメリカが存在しているといっても過言ではない。
この二人に共通しているのは、自分で考えた意見を信じ抜く力が周りを巻き込んでいったということである。
真の生のために死を選択した偉人
真の生のために死を選択した偉人を紹介していく。
ここでいう「真の生」とは自分が正しいと考えた道を生きることと解釈していただきたい。
「檄」
市ヶ谷駐屯地で主張を行い割腹自殺をしたことで有名な三島由紀夫はその一人である。
彼は、表面的経済繁栄にうつつを抜かしていると、長期的に政治、経済において衰退の一途を辿る旨を主張していると僕は解釈している。特に文民統制や憲法改正が日本国が弱体化を引き起こす要因となるという主張が印象に残っている。彼が述べていたことは現代になって現実化しはじめている。
彼は自身の主張を貫き「死」を選択した。例え、その当時の人々からの賛同を得られなかったとしても
だが、その意思は再び日本国民の心に宿り始めているだろう。
大事なのは「思考」と「信頼」
どの偉人においても共通していることは、「思考」と「信頼」であると考えている。
周りの大多数が言っていることへ疑問を持ち、自分なりの哲学を深めている。
その哲学の過程で抽出された意見へ全信頼をおいている。これは言い換えれば、自分を信頼しているということだ。自分を信じることは困難なことであるが、日々の努力と鍛錬がそれを可能にしたのだろう。
これらを意識するだけでも周りに流されない己を確立できるだろう。
また、僕なりにコンテンツ消費社会におけるマインドセットを考えたので、そちらも紹介したい。
意識すべきポイントは以下の2つだ。
- このコンテンツは一部を切り取ったものであり、作者の意図が絡んでいる
- 世の中は二元論では語ることができない複雑なものである
この2つを意識することで、「動画自体を楽しむ自分」と「動画をメタ的に俯瞰して見る自分」の意識を分けることができるようになった。メタ的に評価し逆の意見なども調べたりすることで「盲信の一途」を辿ることは減少したと考えている。たまにだが、コンテンツに対して声に出して「そんなわけあるかーい」とツッコミを入れることも増えた。
作者の意図が絡んでいるという線引きを行うことで、娯楽として楽しむということにフォーカスできるようにもなった。
このマインドセットさえも正解ではない。だが、今の自分の最適解ではあると思っている。
もし良ければ、偉人たちのエッセンスと僕が意識しているマインドセットを持って帰ってもらえたらと思う。
それでは。
終わりに
たまに、こうして自分の中の考えをまとめたりしたいと思うのでこれからもよろしくねー☆
じゅんき
勉強の記録や日々の生活の内容を日記のように書き綴るためのブログです!