岡本太郎は私の人生を切り拓く

2025年03月06日に公開

はじめに

3月も1週間がすぎ、卒業シーズンに突入しましたね。
”卒業”は別れでもあり、新たな環境への旅立ちと出会いとも考えることができます。
不安や寂しさも感じますが、それでも希望に満ちたそんな期間ですよね!

さて、この記事では新たな環境に対する不安との向き合い方や人生哲学について岡本太郎さんの著書を参考に深掘りしていきたいと思っています!

「何かに挑戦したいけど、なかなか挑戦できない」
「一歩前に出る勇気が湧かない」
「足踏みしてしまう自分に対してのやるせなさがある」

そんな思いを抱えている方に読んでほしいです!

今回この記事を書くにあたって、岡本太郎さんの著書である「自分の中に毒を持て」を参考にさせていただきました。
興味のある方はぜひとも読んでいただきたい本の一つです!よければ手に取ってみてください。

それでは早速本題に入っていきましょうか!

岡本太郎さんとは誰か

前提として岡本太郎さんについての深掘りをしていこうと思います!

日本の芸術の革命者

皆さんは岡本太郎さんが誰か知っていますでしょうか?

岡本太郎さんは日本の芸術家です。
有名な作品で言うと、大阪万博の「太陽の塔」があります。
誰しも一度はみたことがあると思います。あの迫力的な顔・形・色彩に圧倒されてしまいますよね〜。

そんな岡本さんですが、日本の芸術界においては格式高い芸術に挑み続けるまさに革命家のような存在でした。
戦後間もなき日本において、「格式の高い芸術」というのは歴史や伝承された文化を重んじる傾向がありました。「ワビサビ」を意識した薄く余白的な絵画、作品が美しいと評価される傾向にあったというわけです。
そんな時代の中、岡本太郎さんは原色を使った刺激的で迫力的な作品を作り続けました。当初、世間からの評価は最悪なものでした。
それでも岡本さんは自分のスタイルを曲げることはありませんでした。

「あなたのようなやり方をしていては、社会から消されますよ」

岡本さんは実際に上記のような声をかけられることもあったようです。
岡本さんは日本芸術界においてはかなりイレギュラーな存在であり、芸術界においても疎ましく思われていたことが伺えます。

このような世間からの声に対して岡本さんは、

「消されるならそれで結構。とことんまで戦うよ」
と答えていたそうです。

これをずばっと言えてしまうところは敬服に値します。
このセリフから見ると、あたかも岡本さんは己という柱を貫き芸術界に挑んだ人のように思えてしまいます。
ですが、この本を読んでいくとこのセリフの解釈は少し違うことに気づきます。

芸術は爆発だ

「芸術は爆発だ」

誰しもこのフレーズは耳に入れたことがあるのではないでしょうか?
芸術は爆発………
何か破壊的な印象を受けると思います。

芸術とは真に心のそこに眠っている「やりたいこと」「衝動」「創作意欲」そう言った人間の原始的な感情に素直になることが芸術の第一歩なのだ。と言うのが岡本さんの真意であると私は解釈しています。
このフレーズには岡本さんの哲学が凝縮されています。

「自分の中に毒を持て」を読んで感じたこと

全体を通して

”己の本心に素直になること”
これは容易なことではありません。

なぜなら、人間みんな社会に出る過程において周りから己の価値観を抑圧されてしまうからです。
初めのうちは自分の明確な道があったのかもしれませんが、周りの人間からの抑圧を受け続ければ薄れてしまいます。
いつしか、己の本心がわからなくなり「自分は何がしたいのだろうか」と悩み始める。
もしかしたら、これを読んでいる方にもこのような考えを抱いた方がいるのではないでしょうか?
私もその一人だと思っています…

このような時、実は何がしたいのかわからないのではなく、己の本心に素直になれていないのだと思います。
己の本心はいつだって炎を灯しているのです。ですが、小さい炎だからその熱を感じ取りにくいだけだと思います。
小さいことでもいいから「これがやってみたい」という思いを「無理だ」と諦めず、とりあえずやってみることが大事だと思います。

三日坊主になろうが関係ない。失敗しようが関係ない。とりあえずやってみる。

このマインドが大事なのだと岡本さんは伝えたかったと思っています。

岡本さんは己を強く貫いたのではなく、己の本心に素直に真っ向から向き合い続けていたのだと思います。
決して、世間に挑んでいたのではないと感じました。

挑み続けていたのは”自分”に対してだったのだと思います。

以下で私が本書を読んでみて印象に残ったフレーズを三つほど紹介します!
また、フレーズに関する哲学や私なりの解釈も述べていきます!

『人間本来の生き方は無目的、無条件であるべきだ。それが誇りだ。死ぬのもよし、生きるのもよし。ただし、その瞬間にベストを尽くすことだ。現在に強烈に開くべきだ。』

すごくパワーのあるフレーズだと思いませんか?
私は、このフレーズが輝いて見えました。

「自分の生まれてきた意味ってなんなのだろう」と考え悩むこともありますが、原点について考えてみれば、人間が生まれてくることに意味や目的なんて存在しないんです。
これを聞くと、ニヒリズムや絶望を感じる方がいるかもしれません。
ですが、もっと自由で柔軟に考えればいいと思います。

意味や目的がないなら、自分が楽しいと思うこと、やりたいと思うことをやる。それでいいと思えてきませんか?

これは、哲学界では”実存主義”といいます。(ニーチェなどが有名)
実存主義とは、過去や未来、常識といった形なきものは存在しない。ただ、”今この瞬間”だけが存在している唯一の事実なのだという考え方です。

過去や未来に囚われても、何も意味がありません。考えた先に待っているのは虚無のみです。
また、常識なんていうものも誰かが勝手に作り出した虚構にすぎず、それが正解ではないのです。
人の分だけ価値観すなわち常識が本来なら存在するはずです。

周りの常識にとらわれず、自由に今この瞬間を精一杯生きる。
それこそが人間の喜びなのではないかとこのフレーズを読んで感じました。

『強くならなくてもいいんだと思って、ありのままの姿勢を貫いていけば、それが強さになる』

私にとってこの言葉はすごく心に残っています。
私自身、完璧主義なところがありました。(今もあると思うけど)

ですが、本来完璧というものは存在しません。
この世の森羅万象が理論や数式などによって全て説明できているかと言えばそうでもないですし、そもそも数式、定理、定義なども人間の考えたものであり近似的なものに過ぎないと思います。
これだけ長い歴史のある哲学でさえ完璧ではないのであれば、この世にどこに完璧が存在するのでしょう?

そう考えると、完璧でなくてもいいかと思えてきます。
完璧を目指さなくて良くなると、少し気が楽になる気がしませんか?

私の場合、完璧を目指さなくなり少しずつ積み上げていけばいいんだと考えるようになってから、取り組むこと全てが楽しくなりました。

おそらく、このフレーズが言いたかったことはまさに上記のような現象のことではないかと思っています。

自分自身の弱みも受け入れて愛してあげることで、それが強みになり輝だすのだと私は信じています。

『大事にするから弱くなってしまうのだ。己自身と闘え。炎はその瞬間に燃え上がり。あとは無。——爆発するのだ。』

このフレーズには、私が挑戦しきれず足踏みしていた時に勇気をもらいました。
何か挑戦をしようとした時、どうしても不安が生じます。

現状維持という安定を選ぶのか、それとも少し危険だけど魅了される道を選ぶのか。
そんな二択が目の前にある時こそ、己自身を突き放してやる覚悟が必要だとこのフレーズから学びました。

危険を感じるにも関わらず、そこに魅力を感じるということはその道に「本当にやりたいこと」があるからじゃないか?
そう考えると「よしやってやろう!」という気概が湧いてきます。

一度踏み出してしまえば、そこからは自分の心に従って突き進むのみ。己の中に眠っていた本心の解放 すなわち 爆発が起きると私は解釈しています。

終わりに

岡本太郎さんの人生とその言葉に勇気をもらえたって方が一人でもいれば、この記事を書いた意義があるかなと思います。

よければ、「自分の中に毒をもて」も読んでもらえたら嬉しいです。
ぜひ、語り合いたいです!

最後まで読んでいただきありがとうございました。
それでは。

プロフィール

じゅんき

勉強の記録や日々の生活の内容を日記のように書き綴るためのブログです!

© 2023 JUNKI